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村祭りの衰退を考える

9/10.秋風が心地よいのですが、残暑と交互にやってきて戸惑っています。まだ真夏日なんてざらです。
さて最近の秋の村祭りは昔の事を考えると随分衰退しました。鎮守の森といって昔の人々の意識では村や人々を守ってくれているという原始的ながら神への畏敬の念と収穫の感謝、村の友愛団結の精神がそこにはありました。又反面、神道を利用した国家主義的要素も大きく神国日本なんていいながら神の名の下に多くの人々が戦争にかり出され非業の最期を遂げました。
しかし現代は憲法二十条【信教の自由】で…信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない…に補償された信教の自由の中で色々な価値観をもった思想が共存して旧来の神道の氏子という意識が希薄になっているのです。事実、離脱する人々も大きく増えました。
しかし地方の自治体や耕地、区などは未だに半強制的に氏子費を集め応じないものは村八分(何らかの圧力をかける行為も含む)にするといったことが公然と行われているのです。我が村も例外ではありません。
先頃赤い羽根共同募金などを自治会費に上乗せして強制的に徴収するのは違法だとして滋賀県甲賀市の住民5人が地元自治会を相手取り決議無効の確認などを求めた訴訟の控訴審判決が8/24に大阪高裁でありました。大谷裁判長は「決議は思想信条の自由を侵害し、公序良俗に反する」と判断、原告の請求を棄却したのです。これが本当だと思うのです。判決では「一律に自治会で徴収することは事実上の強制で社会的な許容限度を超えている」と強く指摘し「募金に対する任意の意志決定の機会を奪うもの」として違法と認定されました。
各村の人々が自由意志で神社に詣て奉賛し祭りを祝おうとすることは大いに結構です。そうした自由意志の元に参集した者達だけが参加し作り上げればよいことで、その意思もない村の人々を巻き込むことは違法であり間違いなのです。ここいらで私達も村祭りのあり方を大きく転換すべきだと思いますが如何でしょうか。

■安曇野のお船祭りの風景
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2007年09月10日 10:08に投稿されたエントリーのページです。

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