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日本を変えようとする思い

私は西暦2004年(平成16年)に第20回参議院選挙に出馬した。結果は落選であったが無所属候補としては過去に前例のない票数を集め話題にしてもらった。この選挙で私は今の選挙の実態、政治の実態をつぶさに見せてもらった。そしてこのままではこの国も地方もやがて亡びていくであろうと淋しい気持を味わったのだ。
今の世の中これでよいのか…と正義感に燃えて私は2004年の参議院国政選挙に無所属・草の根で立候補したが結果は見事にというか予定通りに負けた。この事は現代の選挙環境ではあらかじめ解っていたことで…つまり日本の国政選挙は過去から今日まで既成政党によるシナリオが出来ていて意気に燃える純粋の新人候補者が入り込める程安易な場所ではないのだ。またマスコミ、経済界、企業団、関連する色々な組織は長い間積み重ねてきた既得利権を守る為に出来レース承知で政権政党や大野党とのしがらみ選挙を推し進めている。現代の日本ではそうしないと各企業の存続を含めてあらゆる業務に支障を来すという構造になっているのだ。余り良い事ではないが「お任せ民主主義」がはびこり、また日本国中その様に形が出来上がってしまっている。
日本は近代国家とは名ばかりでまだ江戸時代の様な社会構造が続いているのだ。むしろ体制は封建的でも当時の侍の方が今の政治家より人としての生き様を持っていたとさえ思う。
有権者は現代の様な政治の利権構造を打ちやぶってくれる新しい政治家を期待しているが今の様な選挙環境ではなかなか立候補も出来ない。だから若者達が「どうせ、いつもの出来レースで世の中変わる筈もない…」と投票に行かないのも妙にうなずける。
しかし前回の選挙では長野県にはすごいことが起こった。これまで20回の参議院選挙で無所属、丸腰新人候補が10万票以上獲得できたケースは一人として居なかったが堀 六平は何と11万弱の票を獲得したのだ。組織もない単独の丸腰六平が総得票では大政党に負けてしまったもののその他の既成政党とほぼ互角に戦わせてもらったのだ。これは心ある人々の改革への思いのこもった数字と考えるとまだ世の中捨てたものではないと感動した。日本を変えようとする底力がわが長野県にも潜んでいるということを見せてくれたものと確信している。(つづく)
■日本の農村にこの様な風景はもう無くなるのだろうか
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2007年07月15日 08:19に投稿されたエントリーのページです。

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